DX推進における防災行政の特殊性

「DX」は概念的であるがゆえ、様々な意訳をつけることが可能です。

ある面からは「破壊的価値創出」という意訳も成り立ちますが、ここで言われる破壊とは何の破壊を指すのでしょうか?

それは意味を成さなかった計画や、効率を鑑みないワークフロー等、いわゆる悪しき習慣を指すと言えます。

そんな中、行政手続きのデジタル化のように国が標準化して進められるDXとは異なり、DX推進における防災行政は特殊な分野と言えるでしょう。

特殊な分野として挙げる理由は、防災には正解がないからです。

あるのは全て結果であり、犠牲者の数の大小で評価するものでもありません。

そこで防災行政ができることは、とにかくリスクを減らすための取り組みしかありません。

通信インフラが万能でなければそれをどれだけ冗長化するか。計画されていた連絡フローが破綻することを想定し、どれだけ別のフローを準備するか。

とはいえ、それは全てを補完するものではなく、あくまでもリスクの確率を少しばかり下げる施策にしかなりません。

DXのアプローチには覚悟が必要

DXを考えるとき、どの分野においてもまず始めにマインドを変える必要があります。

仮にそれが強烈な過去の成功体験であっても、それを捨て去る覚悟が求められます。

日本には災害対策基本法という法律があります。これは平成23年の東日本大震災を受けて平成25年に改正されましたが、その前は昭和36年に制定されており、きっかけは伊勢湾台風でした。

このように大きな災害があった場合には過去の想定の甘さを反省し、その反映として法律が変わっていくのですが、それはアップデートでもあり同時に過去の想定を破壊しているのです。この営みはDXの概念と同じです。

そもそも「DX」と「IT化」はどう違うのか

ところで、DXとIT化の違いについて考えてみると、DXは結果を指す一方、IT化は手段を指すと言えます。

防災行政のIT化はすでに全国でも進んでおり、その分野に特化したITベンダーも多く存在します。

自治体単位で防災行政無線や防災情報システムを数億円規模で導入していますが、しかしこれはまさにDXの対極にある思考停止型の施策と言えます。

「自助」「共助」「公助」の3つ中で効果が1割と言われている公助の分野に多くの予算が使われていることについて、行政は重く考えるタイミングに来ているのではないでしょうか。

いま改めて防災DXとは? 私たちの解釈とその進め方

防災DXの意義を「結果にこだわること」と捉えた場合、一度システムから離れて考えてみるべきだと私たちは考えます。

人がいる。
家庭がある。
集落がある。
街がある。

どの単位で効果的な防災を実現するか。その際、人々に必要な営みはなにか?

その設計があって初めて必要なシステムの要件が見えてきます。

デジタルを味方につけた”防災に強い地域”が、住民に安心を与えること。

それこそが、わたしたちが考える防災DXです。